日本にいると度々言われる言葉の1つに
「私はコンテンポラリーはわからないから…」
「どこがを見たら良いのかわからないんだよね…」
があります。
私も以前はそう思っていました!
でも…誰がわかる必要があるって言ったのでしょうね?
「わかる」よりも
「感じる」ことが大切だと思います。
ダンスだけでなく
アート全般に共通だと信じていますが
振付家や作者が
どのような意図で作った作品でも
見る側がどう受け取るのか
どのように解釈するのかは自由。
見る方々が何かを感じたり
それによって何かを考えたりする
きっかけになれば
それで良いと…
昨日たまたま
自分のボスであり振付家
カィェターノ・ソトの
インタビュー動画を見ていました。
彼が常に言うことですが
私はダンサーにも、観客にも解釈をするフレーム(枠組み)を与える。
自分は彼らに対して、このように感じなければ,
笑わなければ、泣かなければいけない などと伝えるべき立場の者ではない
カィェターノ・ソト
I always give a frame for them to make an interpretation.
Because I’m no one to say, this is how you have to feel, you have to laugh, you have to cry.
Cayetano Soto
100人の人が見ていたら
100通りの感じ方や解釈があることが普通で
作者の意図がわからなくても
どこを見たら良いのかわからなくても
なんの問題もないはず。
ただ
「どこを見たら良いのかわからない」
と思っていると言うことは
その作品から自分には伝わることが
なかったと言うことでしょう。
それもまた良いとか悪いなどの
評価につながるものではない。
自分には何も伝わらなかった=わからなかった
でも
自分には何も伝わらなかった=悪い作品
でもないはず。
もしかしたら
自分には何も伝わらなかった=好きじゃない
かもしれないですよね!
最近美味しいと評判のケーキ
食べたら美味しいと思えなかった
なんて経験ありませんか?
人の好みは千差万別。
問題ないですよね。
ダンサーさん達も同じ。
コンテンポラリーがわからないことに
なんの引け目も感じることはない
「コンテンポラリーダンス」と
ひとくくりにするのが
困難であるほどの
多くの異なったスタイルや
タイプがあり
いつか自分に響くダンスに
出会えるかもしれない
ただ今の時代は
多くのスタイルが表現できるダンサーが
求められることは確か。
できれば強みになる可能性もあり。
特に西ヨーロッパでは…
私はクラッシックバレエのみを学び
以前は他のものは
全く踊っていませんでした。
ある日ビデオで見た
巨匠イリ・キリアン振付の
「Pettite Mort」に大衝撃を受け
自分の身体の中に
地雷が落ちたような感覚で
まさに「何かが響いた」のを
鮮明に覚えています。
それからもその響きは
身体の中に残り続けたのが
私がクラッシックバレエ以外の
ダンスに興味を持ち始めた
きっかけでした。
その頃はまさか自分が
振付家のアシスタントになり
ダンサーさん達に振付指導をするなど
夢にも思わなかったです。
私が指導する作品は
コンテンポラリーなのかな?
と思う感じのスタイルですが
クラッシックではない事は確か!
ある日のリハーサル
普段あまりクラッシックバレエ以外は
踊らないダンサーさん。
彼のパートを振付指導するために
ビデオを見せました。
「うわ、すごっ。カッコイイ…」
と映像に釘づけ。
おいおい…
自分がそれ踊るんだよ~
と思いながら
嬉しく眺めていました。
彼に「何か響いた」らしい。
これで彼は良い踊りをしてくれること間違いなし!
さて楽しみ、楽しみ…。
そしてどんな形とはいえ
「何か響いた」きっかけに
関与できた事を
とても光栄に思います